2022年度 卒業生の声

黒田 咲楽

私が元気クラブに入ったのは、中1の春。当時は、進路でとても悩んでいました。陸上の道にも進んでみたかったし、新しいことに挑戦したかったけど、姉がお世話になった元気クラブに入りました。

1年生では、何もかも上手くいかず、出来ない自分に腹が立ちました。同級生は、小学生からソフトボールをしている子が多く、周りは、こんなに出来るのに、私は出来ない。また、姉と比べられたり、期待されたり、とても重いプレッシャーに押し潰されそうになりました。私は、姉と同じ道に進みたくなくて、進路も悩んだけど、1度やると決めたので、最後までやり抜くことを決意しました。そして、加藤先生や、しんじさんのアドバイスをたくさん吸収して、先輩のプレーを見て、自分と何が違うのだろうと考えたり、客観的に見たり、自分なりに改善していきました。バッティングも守備も形になっていきました。でも、試合になると全てが壊れました。打席に立っても、練習のように打てない、守備については、エラーをする。やっと形になったと思っても、上手くいかず、自分でもよく分からなくなりました。何をすれば、結果が出せるのか。技術が上手くなっても、なぜ試合でできないのか。正解が見つからず、とても不安でした。自分でも、心の面で変わらないといけないと分かっていても、体は思ったように動かない。今自分は、どうすればいいのか分かりませんでした。そんな様子の私に、加藤先生は、どうしてこうなってしまったのか教えてくれました。それは、自分の心が見透かされた感覚で、思わず涙が出ました。それと同時に、分かってくれる人がいると思うと、少し気が楽になりました。

2年生になり、私はキャプテンを任されました。自分自身で精一杯だったので、キャプテンなんて出来るわけないと思っていたし、今までの先輩のキャプテンのように、出来るかなと不安でした。そして、いざ試合をしても、後輩ができたので、教えながら、キャプテンとして、周りを見ながら、自分をコントロールしてとなると、頭がパンクしそうになりました。しかし、後輩に教えていくと、自分も改めて理解が深まり、少しずつだけど、安定していきました。

大好きな先輩が卒業し、3年生となりました。今まで、頼っていた存在がいなくなり、自分たちで考え、試合をするようになりました。最初は、何をどうすればいいか分からなかったけど、練習でも、試合でも、自分たちがどうしたいか、考え、話し合っていき、本来のソフトボールが出来てとても楽しかったです。そして、この11人で、工夫し、自分たちで試合を作ることが出来てよかったです。この11人だからこそ、私は、最後までキャプテンとして、頑張ることが出来たし、毎回の練習がとても楽しかったです。

また、加藤先生、しんじさん、教えてくださった方々に出会うことができて、本当に良かったです。他では、経験できないことを沢山経験し、学び、成長出来ました。元気クラブに入った当初は、私はなぜ元気クラブに入ったのだろう、やっぱり、他の道に進むべきだったのかなと思う時があったけど、今、私は、自信を持って、この元気クラブに入ってよかったと思っています。

ここで学んだたくさんのことを、高校でも、無駄にせず、活かし、精一杯励みたいと思います!ありがとうございました。

野崎梨杏

私は小学校3年生のときに入校し、7年間元気クラブにお世話になりました。始めは中学生に混じり基礎やトレーニングをしていました。先輩たちは歳が離れた私にも理解出来るようにと1から丁寧に教えてくださいました。

小学校高学年になり小学生チームが出来ました。人数を集めることから始まりましたが、目標であった全国大会出場を決めることができました。私にとって初めて大きな目標を達成することが出来た瞬間で凄く嬉しかったです。

中学生になり高校生との試合やきつい練習が増え伸び悩んだりしんどいと思ったりすることがたくさんありました。得意なバッティングでさえも打席に入るのが怖いと思ってしまう時期もありました。それでも私を信じ試合に出してくださった加藤先生や丁寧な指導をしてくださったしんじさんがいて、仲間や両親に支えられ乗り越えることが出来ました。

1年生では人前に立つことが苦手で自分の意見が言えずプレーにも消極的な面が出てしまいました。2年生では副キャプテンになり少しずつ自分の意見が言えるようになり、今では普段の生活でも人前に立つことが苦ではなくなり自分が思ったことは素直に伝えられるようになりました。私が変われたのは元気クラブでたくさんの経験や学びがあって成長出来たからだと思います。

加藤先生にはソフトボールの技術はもちろん人として大切な挨拶や礼儀、感謝の気持ちだったりソフトボールをやる上で常に挑戦すること笑顔でポジティブな考えをすることだったり様々なことを教えて頂きました。

加藤先生、しんじさん、西部先生ご指導ありがとうございました。元気クラブで過ごした7年間色々なことがあったけど、素敵な仲間と大好きなソフトボールをすることが出来て本当に楽しかったです。

感謝の気持ちを忘れず高校でもソフトボールを続け目標である全国制覇を成し遂げられるよう努力します。元気クラブで学んだ全てのことを糧に今後も頑張ります。7年間本当にありがとうございました。

大塚磨椛子

私が元気クラブに入ったのは、小学生5年生の頃でした。最初はわからないことだらけだったけど優しく丁寧に教えてくださった先輩方をみてこんな風になりたいと思い、元気クラブに入ろうと決めました。

小学生の頃は、練習でも喧嘩してばかりでこれで試合に出られるか不安だったけど、練習や試合を重ねていくうちにだんだんとまとまっていきました。そしてチームができて2回目の県大会で準優勝し、全国大会に出ることができました。全国大会では、惜しくも1点差で負けてしまいましたがとてもいい経験になりました。

中学生になって、自分達が中心になっていくという時に腰を怪我してしまい約1年プレーができなくなりました。とても悔しかったし、周りがどんどんうまくなっていくのをみて焦りもしました。時にはやめたくなるときもありました。ですが自分にできることを精一杯頑張りました。そして、最後の試合ではスタメンで試合に出ることができましたが惜しくも負けてしまいました。でもみんなと最後に一緒にソフトボールができて楽しかったです。

この約5年間遠くまで送り迎えしてくれたり、朝早くからお弁当を作ってくれたり、弱音をはいても寄り添い話を聞いてくれた家族に感謝しています。自分に自信を持たせてくれた加藤先生、しんじさん、コーチの方々にもとても感謝しています。元気クラブで学んだことを高校に役立てていきます。

約5年間ありがとうございました。

安井澪紗

私が元気クラブに入ったのは、小学5年生の夏でした。最初は、仲間となじめるか凄く心配で、不安になりながら体験に参加しました。ですが、元気の子達はみんな優しくて、初めて会った私にも凄く親切に、優しくしてくれました。

また、元気クラブは上下関係がなく、先輩後輩関係なく指摘し合ったり、高めあったりしていけるクラブです。なので、みんな明るく、楽しくソフトボールをすることが出来ました。

私は、沢山の高校との練習試合や合同練習をさせていただき、すごくいい経験が積めたと思いました。他にも、日本体育大学で合同練習をしたり、トヨタ自動車のソフトボール部の練習を見学したりなど、普通では体験できないようなことをさせていただけました。
元気クラブではソフトボールだけでなく、礼儀もしっかりとできるようにと教えてくださいました。
約5年間ご指導いただき、たくさん成長する事ができました。
本当にありがとうございました!

家族や仲間など、お世話になった人への感謝を忘れず、中学校3年間で叶えられなかった全国大会優勝を目標にして頑張ります!!ありがとうございました!

高野結菜

私が元気クラブに入ったのは小学4年生の頃でした。小学生の頃は私たち4年生が最上級で試合をしていました。あっという間に6年生になり全国大会に行くことができてとてもいい経験が出来ました。

そして、中学生になっても元気クラブを続けるという決断をしましたが、思ってた以上に練習や試合などがきつかったのをすごく覚えています。たくさん遠征に行ったり、強豪校と試合をさせてもらったり、元気クラブでしかできない、貴重な体験がたくさんできました。

中学1年生の頃、右バッターから左バッターに変え、なかなか打てずに不安でしたが先生やしんじさんが丁寧に教えてくれたので、だんだんとうまく行き、ソフトボールが今までより楽しくなりました。

中学2年生の頃、多くの試合を積み重ね、自分の弱さをたくさん知ることができました。3年生の先輩のために活躍するという気持ちで毎日練習し、とても頑張りました。今までで1番しんどくて辛い時期でしたが仲間のみんなと支え合い、どんなことでも乗り越えることができました。

中学3年生になって、絶対に全国に行く。全国制覇する。という気持ちで練習をしていました。しかし、県大会で負けてしまいました。その時に、放心状態になったのを覚えています。絶対に行けると思っていた全国に行けなくて、とても悔しくて悲しかったです。けれど、とてもいい経験ができたと思います。

元気クラブで学んだ経験は必ず大人になった時に役に立つと思います。挨拶や、礼儀など、人としてもたくさん学ぶことができました。今まで人前に出るのが苦手で、人見知りで静かだった私がここまで成長できたのは先生や、しんじさんのおかげです。先生やしんじさん出会えたことで見る世界が変わっていきました。先生としんじさんに出会えて良かったです。元気クラブで学んだことを高校でも続け、必ず成長します。本当にありがとうございました。

西野柑奈

私が元気クラブに入ったのは中学1年生でした。入ったばかりの頃、基礎がほとんどできておらず、知識もあまりありませんでした。そんな中初めて元気クラブでプレーする先輩方を見た時、セフティーやスラップをしている姿を見て、今まで見たことのない技やプレーをする先輩方の姿はとてもかっこよく見えました。そんな姿に憧れたのもあり、私は中学に入ってから右打ちから左打ちに変えました。でも、そんなすぐに変えることはできなくて最初はボールに当てることすらできませんでした。そんな上達の遅い私にも先生やコーチ、先輩方は見捨てずにどうしたらできるようになるかを分かるまで、できるまで教えてくださいました。周りの方々が支えくださったおかげで今ではセフティーをきめたり、打って出たりと、もともと足の速さが唯一の持ち味だったのでそれを生かすことができ、チームに貢献できるようになったことが何よりも嬉しかったです。元気クラブに入ったことでソフトボールを通してたくさんのことを学びました。礼儀、挨拶、その中でも1番大切だと学んだのは、『感謝』の気持ちです。この3年間周りの支えがなかったらここまで成長できていませんでした。親にはお弁当や送迎、先生やコーチの方々にはたくさんご指導をいただき、そして何より一緒に高め合えるチームメイト、元気っ子のみんながいたから今の私がいます。高校でもやってもらうことを当たり前だと思わず、周りの方々への感謝の気持ちを忘れず、試合が出来ることなどこの環境に感謝してこれからも頑張っていきます。そしてこの恩を楽しんでソフトボールして、全力でプレーしてチームに貢献することで恩返ししていきたいです。この3年間、元気クラブで身につけたプレー、礼儀や挨拶を活かして頑張っていきます。元気クラブに入ってたくさんの方々と出会えて良かったです。3年間本当にありがとうございました!!

山口琉泉

私がこの元気クラブに入ったのは、小学校6年生の冬でした。練習中のグランドでは、元気に明るく楽しくプレーをしている先輩方の姿を見て、元気クラブに入りたいと思い入校しました。最初は緊張していて、何をすればいいのか分からなかった私に先輩方が優しく声をかけてくださり、丁寧に教えてくださったことを覚えています。

中学1年生の頃、初めてキャッチャーをやりました。私は野球をやっていたので、初めはピッチャーまでの距離が近くて、ピッチャーの球を捕るのがすごくこわく、慣れるのに必死でした。毎週毎週ピッチャーの球を受けるたびにだんだんしっかり捕れるようになりました。1年生の後半から練習試合や実践練習で試合経験を積ませてもらえ、配球や盗塁をアウトにできないなどの自分の課題がたくさん見つかりました。その課題をなくすために日々努力をしたり、先生や先輩方に聞いたりして課題をクリアし、できるようになったことが増えたので、嬉しかったです。

バッティングは全く打てず、中学2年生の途中から、先生にキャッチャーに専念するよう言われた時は、バッティングもしたいという思いもあったけど、今はキャッチャーに専念して、もっと上手くなれるように頑張ろうと思いました。バッティングは、家で自主練をしたり、先生やしんじさんに細かい所まで教えてもらったりしながらどうやったら打てるのかを自分で考えて取り組んでいました。そしたら、中学2年生の後半の時から、キャッチャーだけでなく、打席にも立たせてもらえるようになりました。ピッチャーの球を打つのは慣れていなかったので、怖かったし、打席に入った時は緊張したけど、慣れてきたらリラックスができ、打てるようになりました。キャッチャーの時の配球は最初は先生に出してもらっていたけれど、自分で考えてサインを出せるようになり、三振をとったり、打ちとったりしたときは、すごく楽しくて、嬉しい気持ちになりました。

私がここまで成長出来たのは、いつも近くで応援して支えてくれた両親や、たくさんのことを丁寧に指導してくださった先生やコーチのみなさんのおかげです。また、この3年間でソフトボールの技術だけでなく、生活面や人間性など色々なことを学べたし、嬉しかったこと、辛かったこと、悔しかったこと、楽しかったことなどなど、たくさんの経験をすることができました。これからは、今よりももっともっと辛いことや大変なことがあるかもしれませんが、元気クラブで学んだことを高校でも活かし、たくさんの人から支えてもらっていることと、礼儀や感謝を忘れずに、自分に自信を持って、明るく元気にソフトボールを続けていきたいです。3年間で行けなかった全国大会に行き、優勝を目指して頑張ります!! 3年間本当にありがとうございました! 引き続き応援よろしくお願いします。

杉江亜美

Genki clubはソフトボール以外にも人間性や、礼儀、挨拶など沢山の事を学べ、得るものが沢山あり、元気っ子は上下関係がなく元気で楽しいチームでした!

私は小学生の時に加藤先生からお声をかけていただき、Genki clubに入ることを決めました。最初は、馴染めるか、これからやっていけるかなという不安な思いがありました。でも、先輩方がとてもわかりやすく説明してくれたり、話しかけてくれたり、優しく接してくれたおかげで、不安だった私を安心に変えてくださいました。

中学1年生の新人戦県大会。私は今でも頭に残っています。

ピッチャーは先輩が怪我をしており、1年生しかいなくみんなが投げないといけない状況でした。私は初めての公式戦で、準決勝の途中から投げました。今までにない頭の中が真っ白で手汗が出るほどとても緊張していたのを覚えています。そして、勝てたことがとても嬉しかったのを覚えています。でも、決勝戦ではあと一歩というところで自分の情けないピッチングで負けてしまったことがとても申し訳ないと思っています。でも、自分にとってはとても貴重な時間だったし、自分について改めて知るきっかけになれたと思うのでよかったです。

中学2年生になり、いろんな場面で投げさせてくださったのですが、うまく行かないときもあったり、自分勝手になってしまったりして、徐々に周りも見られなくなってしまいましたが、同級生の子達が注意をしてくれたり、相談相手になってくれたり、笑わせてくれたおかげで、中学3年では、マウンドに立つときは笑顔が昔よりも増えて、投げてて楽しいと感じることが多かったので、支えてくれた仲間のおかげだと思ったし、Genki clubで学んだプラス言葉など、ポジティブになるだけで心もいい気分になるし、周りも見れるようになるし、チームの雰囲気もよくなるし、少しは周りから役に立つ人間に成長したと思います!

Genki clubに入って約4年間、辛いことや、悔しいこと、嬉しいことなど沢山経験することができました。加藤先生、しんじさんをはじめ、時に厳しく、私を指導してくださってほんとにありがとうございます。

それと元気っ子のみんな私と仲良くしてくれて本当にありがとう。みんなと遊んだり話したりするのがほんとに楽しかったです、これから辛いこととか大変なこととかあるかもしれないけど、どんな時でも笑顔で、ポジティブに!!!

そして、ここまで支えてくれた家族には本当に感謝しています。

これからは高校でプレーしますが、Genki clubで学んだことを活かして日々努力して、自分らしく思いっきりプレーして、大谷選手みたいに二刀流選手になって夢に向かって頑張っていきます!素敵なチーム、仲間に出会えて本当によかったです。

本当にGenki clubに入ってよかったです。

お世話になりました!ありがとうございました!!!

川原麻椰

私が元気クラブにお世話になったのは,小学4年生からでした。小学生メンバーは最初4人からのスタートで試合ができる人数もいませんでした。しかし小学生の仲間がだんだんと増え、試合経験も積めるようになってきました。最初の頃はただがむしゃらに楽しくソフトボールをしていましたが、いろんな大会を重ねていくなかで『全国に出場したい!』という思いが強くなりました。

そして、目標にしていた全国大会に出場することができました。いつもと違う緊張感のある会場でした。とてもいい経験になりました。

中学1年生ではまだ分からないことが多く,先輩についていくので精一杯でした。

中学2年生では自分達が主体となり、チームのこと、個人個人のことでうまくいかないことが増え,たくさん悩みましたが多くのことを知ることができて,学べた年でした。

中学3年生ではチームの目標だった『全国大会出場』ができる中学校生活最後のチャンスでした。しかし県大会では決勝に進むことができませんでした。負けてしまった後は悔しく、味わったことのない喪失感におそわれました。

その他にも様々な大会に出場し,優勝することはできませんでしたが、最後の大会では明るくて,元気に笑顔で終わることができました。

元気クラブに入ってソフトボールはじめ,人間性についてなどたくさんのことを学び,たくさんの良い経験をさせていただきました。

苦しいこともありましたが,それ以上に楽しくて充実して,素敵な仲間にも会えて、一生の思い出に残る6年間でした。

これからも元気クラブで学んだことを活かして,頑張っていきたいです。

元気クラブに入って良かったです! 本当にありがとうございました!

浅野華維

私は今でもそしてこれからもソフトボールを続けられることに幸せを感じています。

私が元気クラブに入ったのは小学4年生の頃、体験に行ったときには先輩のみなさんがとても明るく優しいのがとても印象的で、とにかく仲が良いイメージでした。そんな先輩たちに憧れて入り小学生チームを作ったものの、はじめの頃は力不足で負けてばかりいました。

この頃、私はピッチャーとしてプレーをしていたのですが1番記憶に残っていることがあります。それは小学5年生の時、初めての県大会で泣きながら投げたことです。あまりにも思い通りに行かなく、悔しい思いが溢れてしまったのだと思います。けれど私はこの試合を自分で最後まで投げ通したいという気持ちが大きかったので、泣きながら「投げます」と言って投げ続けました。今思い返せばいい思い出でそして自分が一つ強くなれた出来事だったのかなと思います。

小学5年生の秋にもなってくるとチームもまとまり勝ち進めるようになってきました。このように勝てるようになってきたのは沢山実践を重ね、経験を詰めたおかげだと私は思っています。先生やコーチが沢山サポートしていただいたおかげで、色々なチームと練習試合を重ねることができ、今の自分がいるので今思い返せば感謝でしかないです。この時の結果は東海大会優勝です。この結果を勝ち取ったときには昔の自分やチームを思い出してよくここまで強くなったなと仲間と喜び合いました。

小学6年生にもなってくると昔に比べたら力も強くなり、球も飛ばせるようになってきました。

ここでの1番大きな結果は県大会2位ので全国大会に出場出来たことです。

2位になれたのはまさしくチームがまとまり全員が勝ちたいと願っていたからで、自然と大声で声がかすれることも気にせず応援していました。その一体感が自チームの流れを作り相手チームに圧力をかけられたのかなと思います。

夢の全国大会!マイクロバスで前日から14時間もかけ秋田へ到着。みんなでウキウキワクワクしながら開会式の練習をし、開会式を無事に終えました。試合が始まると1番バッターの自分が初球センター前ヒット!順調な滑り出しを見せることができました。徐々に点をとっていき少し差を開き、勝つことを夢に見ていたところですがなんと次々に打たれてしまいました。徐々に点差が縮まり逆転され、1回戦敗退です。試合の終わりの挨拶で泣きながら挨拶をしたのを覚えています。

最後に次々に打たれながらもしっかりと踏ん張れていれば勝利が得られたのかと思うと悔しさでいっぱいで、そこが自分たちの弱さだと感じました。

私も中学生になりましたがボールが大きくなったということもあり小学生のように上手くは行きませんでした。まず遠征に行った時や力をつけるために、沢山食べる練習をしていました。このときの私はガリガリだったので3号ボールが飛ばず遠くに投げることもできませんでした。まず給食では全ておかわりし、とにかくたくさん食べました。そのおかげで体重は徐々に増え、練習も重ね昔よりは遠くに飛ぶようになりました。

中学生で一番つらかった時期があり、それは中学2年生の時の出来事です。

先生は私を足の速さを活かすために左バッターに変え、小技をたくさん練習し、出塁率をあげようとしてくださいました。コーチの皆さんにも小技を1から教えてもらいながら成功したときには嬉しかったものの、失敗する時の方が圧倒的に多かったです。練習試合でも打てずそのせいか守備までもいつも通りにできず、自信も失っていきメンタルもボロボロ。この時もうソフトを辞めたいと本当に思ったくらいでした。そんな時に事件は起こりました。それは、練習試合の日私が遊び半分で右バッターの練習をしていたところを先生が目撃したことです。先生には叱られ、試合には出さないと言われ、普段絶対どんなことがあっても泣かないと決めていたのですが、この時は色々溜まっていたこともありみんなの前で泣いてしまったことを覚えています。

この時私はまた一つ強くなりました。

試合後先生とまた話し合い、私は右に戻りたいことを伝え、また右に戻りました。

その後は左で練習してきたコンパクトに振ることを右で活かすことができ、昔より無駄な動きが無くなったことで打てる球も増えました。

そして、また新たな壁にぶち当たりました。それは高校についてです。3年生の初めはソフトボールを高校でも続ける気にはなれず、先生に高校でもソフトを続けろと言われ、先生はわざとそういったみたいなのですが、その言葉に私は反応してまた泣いてしまいました。やはりそこに自分の複雑な思いがあったみたいで、先生とまた話し合い、気持ちを落ち着かせました。

少し時間が経つと考え方も変わり、初めはソフトボールを続ける気にはなれなかったものの徐々に続けたいという気持ちも大きくなってきました。

けれど強いところでやりたいとは思わず、楽しくできる高校を初めは選んでいました。が、姉の一言で考え方が変わりました。それは、「もっと強いところでやったら?勿体無いよ」というものでした。その言葉で、私はもっと強いところでソフトボールがしたい!と思うようになり、途中は色々あったものの京都西山高校へ行くことに決めました。

ここで学んだこと、それは、「どんなに辛いことがあっても決して諦めない事」

私はソフトボールを続けてきたおかげで実際に人間として成長し、今もソフトを続けられていることが幸せだと思うようになりました。

今こう思えるのは加藤先生やコーチの皆さん、家族が支えてくださったおかげだと思います。

私はまだまだ未熟ですが高校でたくさん活躍し、今まで支えてくださった皆さんが自慢したくなるような選手になるのでこれからも応援よろしくお願いします!

松田香恋

私がこの元気クラブに入ったのは、小学6年生の冬でした。私は小学生の頃、男子チームに所属してソフトボールをしていました。その時人見知りが激しく自分から声をかけることが出来ませんでした。そんな時に、元気クラブと練習試合をして楽しそうに仲良くプレーしている姿を見てここなら絶対楽しくソフトボールができる!と思い所属しました。

初めは、右も左も分からないままただ先輩方について行くだけで必死でした。先輩方が常に優しく、1つ1つ丁寧に教えてくださったことを今でも覚えています。

中学1年生になってやっと慣れてきて自分だけで行動することができるようになりました。

中学1年生になってから「元気ノート」という物を貰いました。そこには、日々の体調や朝昼晩の食事、自主練、反省、思ったこと、考えたことなどを書くスペースがありました。初めはなんのために書くのだろうと思っていました。だけど書いていくにつれて自分が上手くなるために必要なものなのだと分かりました。練習をする度にノートを見返して今の自分は何がダメで何が良いのか考えながら上手くなろうと必死にプレーしていました。

私は小学4年生からピッチャーをやっていました。結構長くピッチャーをやっているはずなのにどうして球も遅くてコントロールもあまり良くないんだろう、置いて行かれてばかりだ。と思うことも多々ありました。だけど、元気クラブではトレーナーさんが来て下さり、教わることがありました。沢山教えてもらいながら実践してみることで自分に合った投げ方を見つけることができ、どんどんスピードが上がってコントロールも良くなっていきました。約1年間で10kmもスピードが速くなり自分はやれば出来るのだと思い、凄く嬉しかったです。

中学2年生の秋頃から大きなスランプに入ってしまいました。凄く悔しかったです。

練習ではちゃんとできるのに試合では全然出来ない自分に嫌気がさしてきました。自分が投げる必要あるのかな、もう何も出来ないのかなと思うことをありました。だけど、ゆっくりゆっくり先生やコーチの方が「香恋は大丈夫、ちゃんとできる」ということを教えて下さりました。少しずつ自分に自信を持てるようになり、試合でも1イニングだけなど投げていくうちにスランプを抜け出すことが出来ました。やっと自分はできるようになったんだと開放感がありました。

3年生になってからは、メンタルも自分自身も強くなっていきました。後輩達に教わることもあれば後輩達に教えることもあり、チームとしても強くなることができたと思います。

私は元気クラブに入ってから今までずっと先生が言って下さった言葉があります。それは、「香恋は絶対に上手くなる」です。言って下さった当時は訳が分からずただプレーをしていました。辛いこともあり、嬉しいこともあり、日々を過ごしていくにつれてその言葉通りに絶対に上手くなる!と強い心を持つことが出来ました。

高校に入ってさらに辛いことがあるかもしれませんが、元気クラブで学んだことを活かし礼儀や感謝を忘れずに楽しくソフトボールをし、高校生活を楽しく過ごしたいと思います。本当に元気クラブに入って良かったなと思います。

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